2013年11月24日日曜日

本:差別語からはいる言語学入門


週末はいのちのおせんたく日和だったので、電車に乗ってぷらっとお散歩していました。
車内にて

差別語からはいる言語学入門 田中克彦著 ちくま学芸文庫

を読了。大変興味深く読みました。以下感想。

 著者は「差別語は使うべきではないが、単に臭いものに蓋をするように無視したり削除したりするのではなく、何故その言葉が差別語であるのかを考えることが必要ではないか」という立場で、いくつかの差別語に関する考察を紹介しています。差別語をなくすためにどうしたら良いか?という回答を得たいという方にはお薦めできません。この本では差別語は言語学的な研究対象であり、その善悪が問われているわけではありません。つまりは差別語に関する実践的な対応の仕方を目的として書かれた本ではなく、差別語の学術的な興味が綴られています。

 ...とここまで前置きをして、むしろ後者に興味を持たれる方には是非お薦めです。差別語に関する新たな視点・洞察を得ることができるのではないかと思います。例えば、著書の最初の方で、「差別語の糾弾は初めて非エリートがエリート階級から言葉を奪取しようとした動きであった」との考察が紹介されているのですが、これはわたしにとっては大変新鮮で、差別語について新たな観点を得るものでした。素人意見で恐縮ですが、「生きた」言葉を扱う言語学は、生物学的であるなぁと感じつつ読み進めました。まずどちらも進化するものを対象とし、時にその過去の復元が難しい点。そして要素に還元しても言葉も生物もその機能としての意味をなさない点。

 以下は著書で最も好きな一文です。

 たいせつなことは、すこしでも、自分が十分なっとくのいかない説明や主張があったばあいには、なぜ、しっくりと理解できないかとよく考えてみることである。(143ページより抜粋)

 非道徳的である、倫理的でない、人が傷つくからやめろ、というのは、真っ当ですが、その意味を理解しない人を納得させられる言葉ではありません。わたしは異なるイデオロギーの人々を説き伏せることができる言葉が欲しい。

 また、著書の本筋とはずれますが、下記の一節に深く共感しました。

...人間は何か変わらないもの、変えようと思っても変えられないものを、アイデンティティなどといって、異常に重んじるという保守的な性質をもっている。アイデンティティほど、人間を不動のものにしばりつけて、精神の苦しみを与えるものは他にないのにである。(68ページ目より抜粋)

 知らぬ存ぜぬで自由になりたいことがたくさんあるのですが、人生、なかなか儘なりません。それでもできる限り自由になれたら!



それにしても紅葉綺麗でした。


0 件のコメント:

コメントを投稿